日記(1004-1010)

月曜日

道。Time。虹色バス。久しぶりの出社が嫌すぎて朝から爆音宇多田ヒカルスタイルで出社。午後は健康診断で中抜けした。健康診断あるある。その日の体調が普通に悪い。ただ今日は去年の反省を活かして昼ごはんをしっかり食べた。採血が去年のおばさんより上手な人で安心する。夜はうまれてはじめてすき家のチー牛を食べることにした。テイクアウトの出来上がりを待つ私の、ガラス窓に映る姿。暗くてよく見えなかった。すき家の店員はお笑いコンビみたいな外人ふたりだった。

 

火曜日

朝の音楽はyonawoをチョイスした。バンドであることは知っているが、顔は知らない。どんな表情で歌うのかも知らないし、どんなふうにからだを揺らして演奏するのかも知らない。ただ、歌声ひとつで、ずっと好きになっているバンドだ。

オフィスに残されたのが私と同期になった。年齢までも一緒な同期というのは存在するだけでうれしい。久しぶりに直接顔を見たのでけっこう話し込んだ。転職の話になったが、弊社は福利厚生が充実している。だからいまのうちに資格いっぱい取って技術身につけておこうと鼓舞するも、彼はApexに夢中らしい。同期は恋人の待つ家に帰り、そこから4時間、オフィスに一人。帰宅したら0時を回っていた。帰りの電車で大きく足を組んだ。社会にたいする精一杯の抵抗のように。あからさまに態度がでかい人間のそれだった。

 

水曜日

仕事をしていたら一日が終わる。30代になるまでこれを続ければ自分を誇らしいと思ったりするのだろうか。あいにく私は20代のうちから仕事のほかにやりたいことがたくさんある。だからいまの日々は自分を摩耗している感覚だ。昨日、私が担当した仕事の質が悪かったので上司から「今後〇〇さんの下に人がつくことになってもこのクオリティでは任せられない」と言われた。それは今後私の下に人をつけて任せたいと言いたいのだろうか。同期の中でも頭一つ抜けている自覚はある。年齢を考えても成長株なんだろう。仕事と、余暇と。ちょうどよく釣り合うことのない、つまらないシーソーみたい。

 

木曜日

いい声ですよねと後輩に言われる。めっちゃ働いてません?とか、あんまり寝てないんじゃないんですか?とも言われた。近ごろは最後にオフィスを出るので、入退室の管理簿が自動的に私の出退勤簿になってしまう。22時過ぎに帰宅し、今日は早いと感じた。

 

金曜日

仕事でコーディングして、退勤したら文章を書いて、私はずっと生産しているんだな。それ自体はすこし誇らしい気もするし、自分のキャパシティの上限がちらちらみえてしまって情けない気もちにもなる。能力上げたい。

 

土曜日

掲示板にある工事の工程表によると今日はベランダが使えない日。しかし明らかに作業している様子が見られないので洗濯機を回すことにした。外は日がかんかんに照っていたから、こんな日に洗濯物を干さないのはお天道さまにたいする冒涜だ。そう思うといてもたってもいられなかった。バスタオル、光り輝いていてよい。暑い。

いちばん近いスーパーは17時にタイムセールをすると知り得た。フライパンから具材が溢れるほどの大盛り焼きうどんを生成してしまう。台所、かなり汚れた。短冊ベーコンが旨い。鈴木愛理の新曲MVがとてもよかった。

 

日曜日

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人間不信になるレベルの失恋をした。昼過ぎ、家の中に居たら気が狂いそうだったからあわてて外へ飛び出して散歩をする。ぎりぎり自分を保てたと思ったが、帰りにコンビニで豪遊して出前も頼んでビールを開けた。なにひとつおいしくなかった。涙が出そうで出ない。日本酒を飲んだら、1時間くらい意識がとぎれた。起きて小説を読んだらすこし涙をだせた。号泣はできなかった。悲しみより怒りが勝っているから涙が出なかったのだと思う。友だちと談笑して夜を乗り切った。

 

日記(0927-1003)

曜日

昨日の余韻がじんわりつづいて一日穏やかに過ごす。先週一週間、TVerキングオブコント2015-2017が配信されていたが見逃してしまった。今週は2018-2020が配信されている。まだ最高の離婚も観てないのに2018年大会をながら観で再生。思い出した。ファイナルステージでチョコプラがスベりすぎて逆におもしかった年だ。さらばの二本目もみたかった。就寝前、腱鞘炎かと思うほど右手首が痛いがパソコン開いてがんばって作業。

 

火曜日

昨夜4時まで寝れなくてパフォーマンスが悪かった。宣言解除に伴い10月からシフト制の出社を再開するとお達し。カンベンシテクレ。生活をこわしたくない。2か月間のリモートワークだから自炊もできていたであろうに。10月は自分がたもてるか心配。退勤したらすっかり遅くなってしまったので出来合いのもので済まそうとスーパーにゆく。炒めものくらいしよう。もやしを持って酒コーナーに向かうと今年も"金麦 濃いめのひととき"が売っていた。金麦ユーザーなら共感を得られると思うが、ふつうの金麦のほうが断然旨いということは、きまってのんだあとに思い出される一年越しの秋の記憶だ。

 

水曜日

「夜遅くまで作業してるからか、顔つきが変わってきたんじゃない」

ビデオ会議で社会二年目に飛んでくる上長の冗談で私は笑ってあげている。そうして腕をまくりもうひと頑張りするくらいには私はしごく単純な性格をしている。

麻雀アプリ、七対子であがれたのが興奮した。

 

木曜日

仕事のほかにも作業がある。喜ばしい状態なんだろうが忙殺されていることには変わらないので心持ちはよくない。へろへろな私を救ったのは仕込みだった。こんなに長時間キッチンに立ったのは久しぶりだ。深夜に叉焼をつくりだしても誰に何を言われることもない。ぽこぽこと浮いてくる泡は豚ブロック肉にぶつかり臭み消しの野菜をゆるやかにころがし、その音を聴いているとかたまったあたまがほぐれていくようだった。そのうえ私は流し元灯の光が好きだ。食材たちにスポットライトが当たったような、台所の上にだけ専念すればよい、というすこやかさがある。

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”台所は狭くてしずかで居心地がよく、私は歪んだ陽気さで浮き立つ。”──江國香織 『とるにたらないものもの』 食器棚

 

金曜日

いちばん高揚する金曜日の夜。今日我が家に来るお客さんとかねてから行きたかった近所の酒屋にゆく。念願のVERTEREのビールと、日本酒"作 奏乃智"を購入。VERTEREはていねいな仕事をまるごとのんでいる気分。この飲みやすさで6%もあるのだから侮れないな。作は想像より甘さはなく、バランスの取れたキレ。二人でのみすぎてしまった。肴ばかりの6品をごちそうのようにたべてくれるその表情はつくりがいそのものだ。

 

土曜日

友人宅での作業日。それぞれの得意分野を活かした仕事ぶりはお互いに対するリスペクトみたいで感心しながら進める。ベローチェのフードメニューはかなり美味い。友だちが差し入れてくれたビアードパパも美味い。日が暮れキングオブコントが始まった。そのまま友人宅で中華の出前を頼み観賞することに。空気階段、文句なしだった。男性ブランコとザ・マミィが同点になった時点で、もう優勝への花道ができていた。うるとらブギーズニッポンの社長もよかった。コントは観るのにけっこう頭をつかう。一日中、"頭をつかう"と"食べる"をくりかえした日だった。帰る道すがら、「あー生きてるな」と感じて、マスクの下そのまま独り言ちた。

帰宅してからしもふりチューブの"これの名前なんでしょうクイズ"を観て爆笑した。未知のものに対して名前を当てるゲームの楽しさは私も知っている。すこし前に中学の同級生と集まり、オールしたテンションでイントロドンクイズを2時間もした時の感覚を思い出した。このたぐいのゲームは途中から問題に正答することより、いかに面白いことを言えるかというゲームに変わってくる点が最高なのだ。思い返せばつまらなくてくだらない答えばかりで、取るに足らない時間であることにはまちがいない。ただ、瞬時に理解可能なわかりやすいおもしろさについて、親しい人と一緒にあれこれ思考を巡らせる時間が人生にはひつようである、ということもまたまちがいない。ほんとうによく笑った日。

 

日曜日

あまりの自分の要領の悪さと、明日が月曜日であるというおもいおもい現実に、すこし堕ちてしまった。今週が山場だからふんばる。晩飯の焼きうどんがおいしかった。あれほど何を入れても許されるメニューはそうそうない。楽であるゆえ、今週何回もつくってしまいそう。

 

日記(0920-0926)

月曜日

昼過ぎに起きるわ頭痛はひどいわで、かんかん照り絶好調な気候と反比例するように体調が悪かった。それでも動かないと私は滅びてしまう。今日の外出の目的は、一週間分の買い出しとゲオへのDVD返却と、それともう一つ、チャイティーのシロップ調達だった。隣駅においしいチャイティーのシロップを売っているおみせがあると先日友人と話したのだが、店名を忘れてしまった。そのとき話を聞きながらスマホで調べた履歴を遡ってみたが目当ての情報には辿り着けなかった。しかしなんといっても体調が悪いので隣駅に向かう体力もなく、近所で済ませたい思いが私のなかで勝ち星をあげた。スーパーと雑貨屋でもとを探してみて、最悪、ただのミルクティーを飲もう。そう決めてマンションのエントランスを出ると、昨夜見た点棒がまだ落っこちていた(最近麻雀にハマっていたので遭遇したときは胸が熱くなった)。帰宅した時にはもう落ちていなかった。落とし主、見つかったのだろうか。

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けっきょく私が手に入れたのは、チャイティーでもなければミルクティーでもなくのむヨーグルトだった。秋の空すぎる。安い値段だからか、水っぽかった。明治の開発部がこれを飲んだらのむヨーグルトの概念がひっくり返ると思うほどに。

寝るときカーテンを開いたら、月があった。満月に近い、あかるい月。眼鏡は取っているから輪郭はぼやけている。実家の部屋は北向きだったので月が見えることなんてなかった。それどころか大通り沿いに面しているため車の走行音で寝れたもんじゃなく、夜はほとんど締め切りだった。ここは車の音もぜんぜんしない。ねやすいと思った瞬間、すとんと眠りに落ちた。

 

火曜日

仕事で詰まっていた所が解決し、道がひらけた。残業時間はあいかわらず減らせない。だが、今晩は梨が冷えている。梨を剥くなんて何年ぶりだっただろう。あきづきはあまかった。甘美という言葉をたべれるとしたらこういう味のことをいうはずだ。酸味がほとんどかんじられない梨に感動した。就寝前、冷蔵庫を開けると古くなった大根と目が合ったので明日は大根のみそしるをつくることに決めた。麻雀は牌の名前を言えるようになった。

 

水曜日

残業に目をつぶれば仕事の調子がいい。難航しても粘って考ているうちに解に辿り着けている。しいたけ占いが「今週は粘ると吉」みたいなことを言ってたけどこういうこと?22時に退勤したら「飛ばしすぎないようにね」と上司から連絡が来た。成長できるチャンスとあなたから直々に伺っていたので私はここまでアクセルを踏んでいたのだが。

会社のコーチングでおばちゃんと一時間話し、その後は母親とテレビ電話で晩酌をした。頭がかるい。私はちゃんと人を欲している。人と話すことの重要性を痛感。

 

木曜日

限界だ。やっぱりチャイティーが飲みたい。もう一度履歴を遡ってくまなく探すとインスタのアカウントが載っていた。どうやら姉妹店に瓶詰めのチャイベースがあるらしい!全私が小躍りした。今日、手に入れねば。

シャワーを浴びて髪をセットしたらまだそこまで伸びてないと思って美容院の予約をキャンセルした。寝起きじゃないのに寝起きみたいな声が出て、絶対寝坊だと思われたと感じた。吉祥寺に向かう。すこし前にも訪れた時から思っていたが、おみせが充実しているから歩いているだけで心がはずむ街だ。お目当てのおみせは一歩足を踏み入れれば別世界のよう。コンセプトは spice & herb の館らしい。営業中かどうかも判別できないほど、しずかな佇まいをしていた。チャイベースの瓶は250mlと500mlの2サイズがある。250mlの瓶しか並んでいなかったのでそれをレジに持っていった。

「つい先ほど500mlの瓶も入荷したんですよ」

広いカウンターの横を見やると、たしかにたったいま届いたかのように500mlの瓶が並んでいた。店員さんの言葉に偽りはない。迷わず500mlの瓶を購入した。タイミングがいい現象にひかれやすい。倍の容量で300円近くしか変わらないなんて存続できるのだろうか。不安だ。レジ横のカフェオレベースをみて、また来ますと店員さんに視線を送った。

 

金曜日

ワクチン接種1回目。手際のよいお姉さまに注射していただき、接種そのものは瞬間的に終わった。直後から腕の痛みを感じる。今日は精のつくたべものをたべたい。帰りしなステーキが思い浮かんだ。スーパーに陳列されているステーキ肉はどれも500円を超えていて、ひいては今日の私が思い浮かべるステーキのサイズは700円ほどするものであった。私は買うことができなく、隣の200円ばかりの砂肝を手にとる。その砂肝で二品をつくった。家計にも精神にもやさしい結果となった。

 

土曜日

笑ってしまうほど腕が痛い。今から二回目の接種が恐ろしい。体が闘っていると思うと、しかし心も頑張らねばと奮起する。美容院に行った。ミートソースをつくった。カットは気に入らなかったがミートソースはおいしくつくれた。食後一息ついたところでしっかり発熱していることに気づく。37.6度。おまけに月一回の文活メンバーとの会議中、天井から水が漏れ始めた。踏んだり蹴ったり。あまりの出来事と高熱でハイになっているからか、爆笑した。「その状況で笑えるのすごい」といわれてしまった。会議が終わってから水の勢いが弱まり、直に業者が到着。とても丁寧な対応をしてくれた。慌ただしい一日。

 

日曜日

水族館に行った。フウセンウオという魚が愛らしく、また一種推しの魚が増えた。一緒に行った人はマイワシの群れに見惚れていた。だれかと水族館や美術館に行くたびに思うこと。さかなや作品を観賞する時間は人それぞれだけど、それがほとんど同じペースになる人というのは稀有なそんざいだ。

肌寒く、あたたかみを感じた日だった。

 

反動

夏の雨じとじと。切り抜かれたメロンが乗ったかき氷。メロンがいくつも軽快に転げ落ちる。花火専門店の、ちょっとお高い線香花火。口実に使って夏の思い出をお誘い。ポリゴンウェイヴ。梅田ナイトフィーバー。今日は日清カップヌードル宇多田ヒカルの曲はなんだっけ、キープトライン?いや、キスアンクライ。

 

占いに行った。7年後の仕事運は強運で、きっと昇進していると言う。いまの運勢を知りたかった。だがしかし仕事運を占ってもらっている際に結婚運が向上している話をされた。仕事に影響するくらいはっきり濃く出てるそう。財源を預けたり、守るべきものがうまれると"先生"は言う。

 

結婚はまあ、その時の稼ぎとタイミングとお相手との感覚がぴしゃりと合えばというぐらいで。高校生ぐらいのおれは早婚がよくて、大人になってからのおれはまともな恋愛をしていなくて。いまのおれは占いの先生に言われてもなお人生で最もその意欲がない。まだしいたけ占い読んで一喜一憂してるほうが人生たのしい。

 

占いは好きだ。星座占いがとくに。当たる占いはもっと好きだ。嫌なことが書いてある占いは読むと凹むが好きだ。最悪のシチュエーションを想像しておけば、そのハードルを下回って来た時に"なんだ、平気じゃん"と思えるから。"なんだ、平気じゃん"と"やればできるじゃん"で人生やってる。

 

反動が来ている。環境を変えてから生産性がフリーフォールした。生産しているといえば毎日の自分の食事くらい。夏でも揚げ物はするし、一汁三菜だって可能になってきた。それだけでじゅうぶんはなまるではあるが、他にやるべきこと/やりたいことの山がそびえ立っている。選定しなければいけない。

 

人生、取捨選択が多すぎる。キャリア、環境、趣味、嗜好、習慣、人付き合い。これらがほとんどリセットされそうなくらいの変革がいま自分の中で起きている気がしている。洗車機のなかでまるごと洗われている感じで。このあいだ、まさに人がまるっと洗われたように変化した物語を書いた。あれがおれにとっても一つの分岐点だった。ここを出た先、ここからまた三か月でどう生まれ変わるか。どう生まれ変わってやるのか。

 

ここ三か月、予想以上につかれたしんどいというだけの話を往生際悪く1000字ほどずるずる引っ張ってはよなよなこの文章を打ち込んだ。生産性ワンナップ。やればできるじゃん。20分3000円の占いはもういいやと思いながら、700円の星座占いの本を開いて眠りにつくことにする。

最果て

走らなければならなかった。走りたかったのではなく、おれは身一つでこの足を動かさなければいけないことを、沸々と感じた瞬間には土手に向かっていた。


川土手があること、この街で唯一好きなところだ。とくに近ごろの、春を残して夏を先取りした風と湿度が心地よくてたまらない。もしかしたら一年でいちばん好きな風かもしれない。


土手に行く。むしゃくしゃするとき、重苦しさがぬらっと湧いてくるとき、自分では制御の効かないものに駆られたとき。土手に行く。音楽に酔う。バチボコに硬いコンクリに腰を下ろす。水面を眺める。風に吹かれる。ランナーを目で追う。


この土手があったおかげで自分を取り戻せた夜がいくつあっただろうか。もしこの街に土手がなかったら、おれはどうやって生きていけただろうか。外に繰り出すのか。散歩ですむのか。走ってしまうのだろうか。走れば、おれはどこにでもいかれるのだろうか。


中土手を走った。小学生の時、中土手の最果てまで幼なじみとチャリ走らせて東京湾を見たことを思い出した。また見たいと思ったのだ。今夜、東京湾を。

足を上げる。体が世界から離れる。浮いた足を前に、前に。アスファルトが硬い。文活5月号「はしる」を思い出す。"6人分のはしる"と"おれ"がはしる。

久しぶりに走ったもんだから、簡単に足が悲鳴を上げる。体を動かすことはそんなに辛いかおれちゃん。リモートワークで怠けた体は言うことを聞かない。走ったり歩いたりしながら東京湾を目指した。歩みを止めることはなかった。決して止めてはいけなかったのだろうし、おれには止めるすべも心持ちもアティチュードもなかった。

最果てに着いた。一時間半かけて十何年ぶりに足を踏み入れたそこは一体どの辺りなのか、Googleマップを開く。そこは東京湾ではなかった!荒川中洲南端という、文字通り"端"には来たものの、おれが期待した湾岸などではなかった。腰掛けたテトラポッドの目の前で荒川と中川が交流している。なんとなく憶えていた気がする。この光景を。初めてみるものはどんなものでも新鮮だった小学生。東京でみられる景色のなかではそれ相応の壮観を"東京湾"と呼んでしまうのも仕方あるまいと思いを馳せた。ゆっくりと立ち上がって、一時間半かけて来た道を戻る。こういう、子どもの時に培った経験や考え方がひっくり返されたり、ねじ曲げられたりするのが大人。これは悲観的観測ではなく、社会で生きる大人の巡り合わせ。社会の歯車みたいな顔をして、みんなそうやって生きて走ってる。


今夜おれは、走らなければならなかった。先がないところまで。

アイスの実、まるごと愛すのみ

ここ数年、好きだった人が嫌いになって、嫌いだった人が好きになる現象がけっこう起きている。

 

好きだった人が嫌いになるのは、その人の「あっ、その発言はちょっときついな」とか「あっ、そういう一面は知りたくなかったな」みたいな瞬間に発生する。この「あっ」に触れるときはだいたい距離感のバグによって発生するものなのでそういう時はそっと離れるのがいちばん。

 

しかしながら根に持つタイプなのでしばらく経ってコミュニケーションを取るときも、頭の片隅に嫌な記憶が座敷わらしのように鎮座しつづけちゃう不便な私の脳ミソ。でもそういう自分が感じた違和感や憤りを無視して生きたくはないので、そいつらと殴り合い手を取り合いながら図太く生きてる。

 

もちろん好きだった人が嫌いになるって、自分が都合のいいようにその人の像をつくりあげてしまっていたのが原因なときもある。

 

とくに第一印象がいい人に多い。やっぱり好印象からのスタートだと見たくなかった部分がぽつぽつと目につくようになる。あとになって発覚する週刊誌の記事みたい。

最初からまるごと信じ切った私が悪いのですが。ええ、ハナからワンハンドレッドパーセント以上あなたのことを信じた私が悪いのですが。

 

逆に、嫌いだった人が好きになるのは、私が最初に感じた好ましくない印象をひっくり返す人。そもそもこれもファーストコンタクトで自分の先入観とか偏見がしゃしゃり出てきて「こいつは無理」グループに勝手に分類しているのが本当にだめなんだけど。

 

印象をひっくり返された例でいうと、千葉雄大が世に出てきたとき、「はいはい、甘いフェイスで甘い言葉を囁くあざと子犬系男子地区にお住まいの方ね」とグループ分けをして当時綾野剛とか瑛太とか演技力もあってかつ大人の魅力がある俳優が好きだった私は一瞬で好きじゃないなと思った。でもこの前田中みな実弘中ちゃん山ちゃんがやってる「あざとくて何が悪いの?」に千葉雄大がゲスト出演してたとき、その甘いかわいさに磨きがかかっていてなおかつリアクションや話し方さえもあざとさに全振りしていたからむちゃくちゃ好きになった。

 

振り切ったキャラクターってめちゃくちゃ魅力があるんだよ。アイドルってそういうことでしょ。私が好きな有名人もみんなそう。キムタクもaiko松岡茉優も、みんなそう。ストイックで抜け目がない。

 

リアルでの人間関係を一つ書くとすると(これを読める範囲内の人のことではない)、笑いのラインが合ってない人って本当にきついなって最近思っている。

 

私の誰かに対する好き嫌い逆転現象もほとんどこれが起因してる。相手がおもしろいと思って言った冗談が私の触れてはいけない部分を撫でてしまうもんだから、好き嫌いのメーターが逆方向に勢いよく振り切れてしまう。

 

どこまでが笑える冗談かのラインが近しくない人同士で喋ってしまうと片方の冗談が片方のことを傷つけてしまうし、でもそれでいて言った側は冗談だと思って言っているのでなにも気にしていない(そこが腹立つ!)。あなたのユーモアは配慮や尊重がたりません!愛のないいじりは笑えないのです!知ることからはじめましょう!

 

「ユーモアで人を傷つけない」なんて勿論めちゃくちゃ自戒だけど、それでも私の冗談が誰かを傷つけてしまったことなんてざらにあるんだろうな。だって傷ついた側は言った張本人に「私は傷つきました。謝ってください」なんて言えないから。それを言える度胸があったら最初からそいつと友達やってねえんだよな。本人だけ抱えて、それがつもりつもって爆発しちゃうから人間関係が壊れるのは一瞬。

 

これを解決できるのって、言われた側が我慢してへらへらするか、その人との関係をフェードアウトするかの無慈悲な二択しか私の中にはなくて、人に媚びたくないくせに争い事が嫌いな性分な私はきっと後者を選んでしまう。

 

ゆえに私はやさしい人に惹かれてしまう。アイスの実みたいに、袋のなかのどれを取っても、均一に甘くていつ食べてもおなじ味がする人。いつもおなじようにやさしく接してくれて、まるっと包み込んでくれるみたいに話してくれる人。
そんな果実みたいにみえる人がいたらきっと私は自分をゆだねてしまう。ゆだねてしまうだろうし、私はそういう人が好きで、そういう人になりたい。変わらないものなんて存在しないこの世界で、不変な愛だけは惜しまない。一瞬は永遠だ。

 

目を見てあなたをみて

目を見てしゃべること、それはおれが苦手なことであり克服したいことであり最近すこしずつ出来るようになってきたことである。

 

小学校から付き合いがある幼なじみほど親しい間柄でも目を見て話すことが苦手だった。それは親からとくに何も言われずに育てられたことで目を見ないことが習慣化してしまったのと、もうひとつおおきな要因がある。自分の容姿。

 

いまでは「今日のおれイケてるな~~~」と自己肯定感アゲな日があれば「うわっ…私のクマ、やばすぎ…?」と肩を落としたり毎日忙しないのだけど、3年ぐらい前は現体重+20kgでもう自分の容姿に対して自信なんかこれっぽっちもなかった。

 

ある日思い立ってから半年かけて20kg痩せてからは自分の容姿がかなり好きになった。正確にいうと鏡をみれるようになったのだ。鏡よ、鏡。ダイエットで自己肯定感が上がるだなんて嘘みたいなストーリー、自分のことじゃないみたいに思ってるのはだぁれ?

 

肉が顔からつくタイプなので太ればすぐに顔に表れる。危険信号に気付けるから見えないところで問題が肥大化するよりマシか、と思いながら片手で頬を持ち上げるおれの顔はしかめっ面をしている。ゆっくり時間をかけて5kgリバウンドしていることを示す体重記録アプリの折れ線グラフはさらに眉間のしわを寄せる(イメージは高畑充希のぶちゃくなる)。

 

だから昔の自分よりは自分の容姿が好きになったことが、すこしずつ目を見て話すことを可能にしている。見るという行為は好意的姿勢を簡単に示せる。あなたのこともっと知りたい、あなたのこと尊重してる、みたいな愛のエレメントが「見る」ことだと思う。

 

おれが目を見て話すことを助長してくれるものもある。お酒の席だ。べつにこれは相手が飲んでいることは関係なくて、自分が飲めていればいいのである。

 

お酒をのむときはたのしいときであるべき。これはちょ~すきな書き手の文章を読んで最近形成された価値観なのだが、あまりにも悲観的になって飲酒していることが自分のなかで慢性化していることに気づいてしまって、もうそれはやめにした。

たしかにお酒側もいやじゃんね。おれがお酒ならたのしく飲まれたいと思うよ(?)

 

お酒を飲むときはたのしい!と決めているおれの飲み方はきっとたのしい。くつくつくすくすといつまでも笑っちゃう。

迷惑をかけることだけは嫌なのでへべれけのアタマで出来るかぎりいろんなことに注意している。体質上、酔いが回って嘔吐したり(お店で)突っ伏して寝たりすることはない。吐かない体質だけは酒豪の親に感謝してる。

 

じゃあ酔いが回ってどうなるかって、距離感が近くなってしまう。横に居たらちょんと肩に触れたり、自分のからだを相手の方に揺らしてしまう。男女分け隔てなく。

そして同時に目を見てしゃべれる。それはお酒の力を借りてしまっていると言われてしまえばそうなのだけど、お酒で照れくささのひとつでも取っ払えるならそれはそれで良いことだと思う。悪いことはしてないじゃないか。

 

目を見ておなじ時間を共有できること。その機会が増えてきてうれしいことを回りくどく、酔いが回ってくだを巻くように、そのことの尊さを忘れずにあなたとずっと話していたいんである。