目を見てあなたをみて
目を見てしゃべること、それはおれが苦手なことであり克服したいことであり最近すこしずつ出来るようになってきたことである。
小学校から付き合いがある幼なじみほど親しい間柄でも目を見て話すことが苦手だった。それは親からとくに何も言われずに育てられたことで目を見ないことが習慣化してしまったのと、もうひとつおおきな要因がある。自分の容姿。
いまでは「今日のおれイケてるな~~~」と自己肯定感アゲな日があれば「うわっ…私のクマ、やばすぎ…?」と肩を落としたり毎日忙しないのだけど、3年ぐらい前は現体重+20kgでもう自分の容姿に対して自信なんかこれっぽっちもなかった。
ある日思い立ってから半年かけて20kg痩せてからは自分の容姿がかなり好きになった。正確にいうと鏡をみれるようになったのだ。鏡よ、鏡。ダイエットで自己肯定感が上がるだなんて嘘みたいなストーリー、自分のことじゃないみたいに思ってるのはだぁれ?
肉が顔からつくタイプなので太ればすぐに顔に表れる。危険信号に気付けるから見えないところで問題が肥大化するよりマシか、と思いながら片手で頬を持ち上げるおれの顔はしかめっ面をしている。ゆっくり時間をかけて5kgリバウンドしていることを示す体重記録アプリの折れ線グラフはさらに眉間のしわを寄せる(イメージは高畑充希のぶちゃくなる)。
だから昔の自分よりは自分の容姿が好きになったことが、すこしずつ目を見て話すことを可能にしている。見るという行為は好意的姿勢を簡単に示せる。あなたのこともっと知りたい、あなたのこと尊重してる、みたいな愛のエレメントが「見る」ことだと思う。
おれが目を見て話すことを助長してくれるものもある。お酒の席だ。べつにこれは相手が飲んでいることは関係なくて、自分が飲めていればいいのである。
お酒をのむときはたのしいときであるべき。これはちょ~すきな書き手の文章を読んで最近形成された価値観なのだが、あまりにも悲観的になって飲酒していることが自分のなかで慢性化していることに気づいてしまって、もうそれはやめにした。
たしかにお酒側もいやじゃんね。おれがお酒ならたのしく飲まれたいと思うよ(?)
お酒を飲むときはたのしい!と決めているおれの飲み方はきっとたのしい。くつくつくすくすといつまでも笑っちゃう。
迷惑をかけることだけは嫌なのでへべれけのアタマで出来るかぎりいろんなことに注意している。体質上、酔いが回って嘔吐したり(お店で)突っ伏して寝たりすることはない。吐かない体質だけは酒豪の親に感謝してる。
じゃあ酔いが回ってどうなるかって、距離感が近くなってしまう。横に居たらちょんと肩に触れたり、自分のからだを相手の方に揺らしてしまう。男女分け隔てなく。
そして同時に目を見てしゃべれる。それはお酒の力を借りてしまっていると言われてしまえばそうなのだけど、お酒で照れくささのひとつでも取っ払えるならそれはそれで良いことだと思う。悪いことはしてないじゃないか。
目を見ておなじ時間を共有できること。その機会が増えてきてうれしいことを回りくどく、酔いが回ってくだを巻くように、そのことの尊さを忘れずにあなたとずっと話していたいんである。